歴史に想いを馳せて

最後の石切り職人が語る、房州石200年の歴史

見上げる絶景

この迫力ある石の壁は、職人たちが石材を生産するために身を粉にして働いた痕跡です。富津市金谷の鋸山では、昭和60年まで石の切り出しが行なわれていました。

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2013年10月12日に富津市金谷にて開催された「第5回 金谷石のまちシンポジウム」では、金谷をはじめとする房州から切り出された石が学術的・歴史的にどれほどの価値が有るのか、どの地域でどのように使用されてきたのかなど、集まった様々な分野の研究者によって調査結果の発表や意見交換がなされました。

伊豆の下田市、石川県金沢城調査研究所、山梨県、山形県、東京都埋蔵文化財センターからの識者も参加した、実に豪華な顔ぶれの勉強会です。

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石材に興味を持つ方はもちろん、もともと予備知識がない参加者も真剣に耳を傾けてしまうほど、興味深い内容。

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これほどたくさんの方の関心が集まるとは、驚きです。

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国内の様々な場所に房州石が使われていることを知らせる参考資料も展示され、「あ、知ってる!」という建物が案外多いことに驚かされます。昔から石材は土台をはじめとする建築用途を含め、かまど、石壁など様々に使用されてきました。現在皇居となっている、かつての江戸城にも石材はたくさん用いられ、今でもその存在を自分の目で確認することができます。

200年にも及ぶ石材の歴史が意外と身近なところで現代にも残り続けているとは、何とも感慨深いものです。

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実際に切りだされた、重さ80キログラムの石材。のみで削ったような痕跡があります。ほとんどが女性の仕事であった車力という仕事で、これをねこ車と呼ばれるリアカーのようなものに3本も積んで、合計240キログラムもの石材を麓まで運んだのだそうです。このお仕事を車力といい、車力が通る道を車力道と呼ぶそうです。その場所へ行くと、今でも生々しく残るその轍を見ることができます。

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これが石切りの道具の一部。実際どのように切り出したのかは映像があれば見てみたいですね。

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現代の機械化による建築文化の変化の荒波に揉まれ、コンクリートが隆盛を極めて行くにつれ、石材の文化は衰退の一途をたどりました。日本全国にあった石切り場は次から次へと姿を消し、職人も一人、また一人と消えて行ったのです。当時の様子をリアルに語るのは、日本で最後の石切り職人、鈴木士朗さん

金谷とその周辺の石切りの歴史が幕を下ろすところを見届けてから約30年が経過した今では、当時の石切りの経験を語れるのは、もう鈴木さんだけなのだとか。

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鋸山ロープウェーを登って日本寺のルートへ入り、百尺観音の辺りに行くと、切り出しかけたまま苔むした石を見ることができます。作業が途中で終わっているので、まるでこれから切り出されるかのような錯覚に襲われます。今回のシンポジウムを主催した金谷ストーンコミュニティーの理事長が案内してくれる「石切り職人の道をたどるツアー」で、様々なことを知ることができます。

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あなたの街でも、このような手触りの石が見つかるでしょうか。もしかしたらそれは千葉県の南側山域で石切り職人が苦労して切り出した、あの歴史の重みある房州石かもしれません。

(一部修正しました。2014/11/05)

金谷ストーンコミュニティー
鋸山で、石切り職人をたどる ー前編, 中編, 後編[ふっつかよい]

 

茂木 健一

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